知の体力ってなんだろう?「知の操縦法」を読んで

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まえがきから

主にスマートフォンを使用している人の「読む力」が落ちていると、のっけから手厳しく著者は指摘する。
ベストセラー作品やピケティなどがどうしても理解できないと読者からの相談を一度ならず受けているらしい。

SNSなどの短い文章で限られた日本語のみの生活。さらに言葉を使わずにスタンプを使うことも多い。
文章を読み解く必要が日常生活の中で減ってきている。

読む力以上の「書き・話し・聞く」ができることはない。
つまり総合的な「知の体力」が低下してしまっている状況にあるというのだ。

 

これは私も実感している。というか、そのことで焦りを感じていた。

言語化する能力が低くなってしまっていると。すわ、こりゃ脳の老化かと思っていたが、もしかしたら退化だったのかもしれない。

つけくわえるなら、何故スマホ生活によって読む力が衰えてしまうのかという理由には「スクロールのスピード」があるのではないかと思った。

スクロールすることが快感で(というか、そのように設計されているのだろう)文章を読むというより、指をすべらせ目をすべらせているだけだ。

スマホ世代にもスマホで文章を読む習慣があるとは思うが、たとえば人気のブログはスマホ向けに書かれており「高速でスクロール」されても理解できるレベルの文章をあえて書いている。一文一文をじっくり読む必要がない。

こういったこともあり、加速的にスマホ世代の「読む能力」は衰えていっているのかもしれない。

百科事典と体系知

佐藤優さんはこう書く。「ネット環境が充実した結果、知的退行が起きている。このような状況から抜け出すためには、自覚的に「読む力」を強化しなくてはならない。」

「読めない」というのは文章の論理展開をつかむことができない状態、つまり「知の体力」が落ちてしまっている状態なのだという。

知の体力とは「物事の考え方の土台」であり、「体系知を身につけること」である。体系知とは断片的な知識ではなくて、それらの知識たちがどのように結びつき関わっているのかを知っていることである。

そういえば子供の時分、親が玉川児童百科事典を一揃え家に持って帰ってきた。
誰かからもらってきたらしい。宇宙・科学・美術・文学・歴史…一通りの分野が各巻にまとまっていた。

暇な時は興味のある巻を一通り読んだ。文学などは世界の古典から近代名作までのあらすじと解説がのっていて、原作を読んでいなくても「ああ、あの作品ね」と言えるくらいの知識はついた。日本史も世界史も美術史も芸術史も全部、百科事典で読んだ。小学生向けだから内容は平易だったけど、色々な学問分野を「一通り把握」できたことは良かったと思う。

今は子供向けでそういったものがあるのだろうか。辞典のようなものは見かけるのだが項目が50音順にならんでいて、体系だてて学べるものが見つからない。

私が子供の時点で相当古いものだったし、さらにそこから30年経過しているのでおそらく処分してしまったのだろうと思うが、娘にも読ませたかった。

という個人的な話は置いておいて。

百科事典はその分野の専門家がその時点においての定説を書くものなので、先行する研究の「型」を知ることができる。「型」、つまり物の考え方を身につけることが、複雑化する社会を理解する上で大切な力になるというのだ。

そして、なぜ古典を読むべきなのかという問いに、著者はこう答える。

「実用的なノウハウを断片的にいくら身に付けても、長期的に役に立ちません。根源的な知を身に付け思考の土台を作り、実際に役立つところまで落とし込んでいくことが求められています。(p.130)」

物事をメタ化して考えていくこと・思考の型を使って考えることが、目の前に起こってくる一見バラバラの事象を理解していくことに役立つということだ。

たとえば、宗教改革者ルターの農民への対応とオウム真理教の教義の類似点とか。(罪を犯す前に殺してあげたほうが彼らのためという発想)

では「思考の型」とはたとえば、どういうものなのか。

ヘーゲルと反知性主義と日本の現状

この本の後半は哲学者ヘーゲルとその著書「精神現象学」について割かれている。

(ヘーゲルについては、私はほぼまったくといって読んだことがないし、そういうビッグネームな哲学者がいるのは知ってるわ程度のものなのだが、この本はヘーゲルの哲学についてわかりやすく説明してくれている。)

ヘーゲルの物の見方というのは複線的思考―「私から見た場合」はこうで、「他人から見た場合」はこう、と視座を変えていく思考プロセスだという。これによって自分の意見が絶対的に正しいと思い込むこと、自己絶対化に陥らずにすむ

そして、すでに体系化された知もまた、絶対化されることなく常にアップデートされる必要があるのだという。常に絶対というものは無いということは、他者との対話によって自らの思考がアップデートされていく可能性があるということだ。

 

著者は日本の現状、とくに政治エリートにこの体系化された知を無視する「反知性主義」と「自己絶対化」が蔓延していると指摘している。

それは私も「女性の働き方問題」や「少子化対策」や「LGBTの人々」などの問題を政治がどう扱っているかを見るにつけ痛感する。彼らは自らの固定化された知だけで問題を解決しようとし、問題の当事者達とは対話しようとしていないのではないかのように見える。

こういったトップが動かす国が暴走を始めた時、ブレーキをかけられるのは社会の構成員である私達が「知の体力を持っていること」。
それが大切なのだとこの本は説く。

私達は学び、考え、対話することを放棄してはいけないのだ。

 

 

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